【プノンペン】トゥール・スレン虐殺博物館とキリングフィールド

4月5日に、シェムリアップを出て、首都プノンペンに移動いたしました。

すごくゴミゴミしてる。

プノンペンは、シェムリアップと同じ感覚でいると危ねえと聞いていたので、バスで到着後すぐ隣にあるホテルにチェックインし、滞在中あんまりガンガン出歩かず。スマホもあんまり道端で出さないようにしていた。

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夜は、宿周辺が結構暗い。コンビニ行く為に外に出ると、暗闇の中トゥクトゥクの運ちゃん達が何処行くの?!何処行くの?!と迫ってくる。でも、ひいいいぃぃと怯える私を見て、ああ…ごめん…と引いてくれた。

プノンペンには、キリングフィールドと、トゥール・スレン虐殺博物館(通称S21)訪れにやってまいりました。

大変有名な場所なので、今更私の説明は要らないんですけども…もう泣くわドン凹みするわして終わりました。

なので先に申し上げておきますと、本日の記事はいつものような感じはないです…書くのどうしようか迷うくらいでしたので。

「ポル・ポト」という人物の名前は、恐らく少なからず「聞いたことあるかも」位有名かと思います。

カンボジアにて、ポル・ポトは、階級・格差をなくす為に、文化・知識・財産・宗教を否定し、国そのものを、農業だけをやっていた原始時代に戻そうと(原始共産主義社会)、クメール・ルージュという若者の軍隊を組織して政権ゲット(1975〜1979年)。彼は人々に対して凄まじいことをやりまくりました。700万人いた国民のうち、約200万人が亡くなった、その時の、特に悪名高き2つの施設です。

※私の説明は拙いので、もし当時の歴史詳しくお知りになりたい方は、やはり本とか良いんですが、下記の説明とてもわかりやすいので(Yahoo知恵袋)。勝手にリンク貼らせていただきますよ。

https://note.chiebukuro.yahoo.co.jp/detail/n87481

 

 

<トゥール・スレン虐殺博物館(S21)>

こちらは投獄・拷問・処刑に使用していた施設。

逮捕理由が、もう申し訳ないけど笑う…嘘だろ…

・医者や先生、弁護士、僧侶、外国行ったことある等、知識ある、教育受けてる人全員投獄。

・コメディアン、歌手、メガネかけてた、本読んでた、ラジオ持ってる、腕時計してる、手が綺麗、イケメン&美人etc。

・復讐されるのを防ぐ為、その家族1人残らず全員。

そんなもう訳わからん言いがかりで投獄・拷問・処刑を繰り返した悪夢の場所が、今は博物館になっております。

逮捕→拷問→自白しなきゃ毎日拷問→耐えきれなくて嘘の自白とか供述書書かされる→処刑というコース。

「自分はアメリカのCIAの元幹部でした」「ソ連のKGBのスパイです」とか。そんなんその辺にゴロゴロいるわけないだろが。

そして、はい、自白取れました!じゃあ処刑で!である。

4年弱で約2万人が投獄されて、生き残ったのは7人。

結構観光客がいたけど、皆黙ってじっとガイドを聞きながら歩いていた。

館内には投獄された人達の写真が大量にあった。

有刺鉄線がぐるぐる

拷問部屋や独房が、当時使ってたベッド、拷問具、足枷も含めてそっくりそのまま残っている。四角い鉄の箱はトイレ代わり。こんなのが何部屋もある。

ボパナさんという頭のいい美人がいて、恋人がクメール・ルージュの幹部になり、秘密で私信を送っていたのがバレて2人とも結局処刑されたという悲しいエピソードがあった。女性に現を抜かすのは禁じられているのでね。

しかしながら、「外国語を話し、クメール・ルージュの幹部を誘惑した魔女」として投獄されている間、彼女に関する調査書が、大幹部より多いっていうことに苦笑い。いつの時代も男は美人に興味無い振りしててもめっちゃ興味深々なのである。

写真が残ってて展示されてました。とても綺麗な人。

そしてここから更なる追い討ち。

キリングフィールドは、バイタクの運ちゃんに「何処行くの!?」と捕まったので、往復10ドル、2時間半待っててもらうことで話が着きました。ちょっとプノンペン中心部から離れております。大体30分弱でしょうかね。

<キリングフィールド(チュンエク)>

その名の通りここも強烈…さっき訪れたトゥール・スレンで、嘘の供述書を書かされた後に送られる場所。当初はトゥール・スレンで処刑もしてましたが、死体を埋める場所がなくなったので、処刑用に用意した場所。今はただの緑豊かな野原なんだけどね…

 

日本語のオーディオガイド付きです。

地面がボッコボッコしてる。これ全部人が入ってた穴。

連れてこられてその夜、穴の縁に立たせ、名前確認して斧とかで撲殺。そのまま穴に落とす。高いので銃弾は使わない。

この木の皮はとても鋭いので、首切る道具として使っていたらしい。触ったらとても硬かった。

 

赤ちゃん達を叩きつけて殺した木。(キリングツリー)

発見された当時、髪の毛や脳がこびりついていた。今は沢山のミサンガがかけられてる。

この木の横にある穴。裸の女性達や子供達450人が出てきた場所。

 

この木には大きなラジカセ引っ掛けて、革命歌を大音量で流していた。殺される人達の呻き声や悲鳴をかき消す為。

当時流れてた歌と、回っていたモーター音のノイズを組み合わせたものをオーディオガイドが流してくる。

殺される直前に人々が聞いていた音。これ本当に怖い。妙に明るくて元気な感じの音楽。気が狂うわ。

土の下から出てきた服。

骨と歯の一部。

定期的に、服の破片や大きい骨を係りの人が拾っているらしいけども、雨が降って土が流される度に、未だに新しい骨が出てくる。私も歩いていて、かなり大きい割れた大腿骨が転がってるのを見た。

こんなんがこの国300箇所以上あるんだよ…おかしいだろ…

9000人分の頭蓋骨と大きい骨を収めた慰霊塔。

17階建てで遺骨がぎっちり。

ショーンとする私を乗せて、運ちゃんはホテルへ帰還。

少し前、一緒に旅をした82歳イタリア人のフランコは、ここは2回行ったと話していた。戦争始まる前にベトナム行ったりしてるので、リアルタイムもいいとこである。フランコはこの頃、当時40代やそこら。カンボジアは情報規制が敷かれ鎖国状態で、国内にいた外国のジャーナリストも処刑されていたから、こんな恐ろしいことがカンボジアで起こっているなんて世界は全く知らなかったと。

何故ポル・ポトは、これでカンボジアが豊かになると思ったんでしょうね?政権握って3年目には、かなり状況は崩壊していたらしいのに。

遥か昔から、ベトナムとタイに挟まれて戦い続け、フランスの植民地にされて、戦争に巻き込まれてアメリカから爆撃されて、もうカンボジアはボロボロ。だから、外国に侵略されない、自立した理想郷を作る。なのに、全然上手くいかなかった。人を沢山殺して死なせて、側近も誰も信じられなくなって…と考える。

しかしながらポル・ポトが1998年まで生きてて、割と最近死んだことに衝撃を受けたよ。

精神的にかなーりやられますが、カンボジア来たらぜひ行ってください。

 

<おまけ>

それでも夕飯はホテルのレストランじゃつまんない、と近所に外出。屋台のチャーハン食べた。周辺の屋台の子達が、外国人が食べにきた…と5人位やってきた。言葉が一ミリも通じないのにかわいい。

 

 

<おまけ2>

近所のマーケットに行ったら完全地元の人用だった。

車輪売ってる。

マニキュアが多すぎてちょっと気持ち悪い。

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