遺跡をぐるぐる見る合間に、報道写真家である一ノ瀬泰造氏のお墓に立ち寄った。
こちらは、割と最近の2001年、現地の方によって建てられたお墓。
インド・パキスタンやインドシナの戦争関連で常に前線に行き、1973年カンボジアで「ポル・ポトの手中にあるアンコールワットに一番乗りして写真を撮る」と言って潜入、消息を絶った人。
一ノ瀬泰造氏に関しては、1999年、浅野忠信氏が主演を務めた、「地雷を踏んだらサヨウナラ」という映画が公開されて若者の間でヒットしていたので、知っている方も多いかと。
私は、映画は見ておりませんが、実家の父の本棚に、ベトナム戦争やポル・ポト時代のカンボジア内戦の資料が沢山あり、幼い頃より意味も分からず、よく勝手に写真集とか見ていた。
その為、その頃何があったのか、一ノ瀬氏の名前も、どういう写真を撮ったのかも何となーくは知っておりました。実際には、地雷ではなくクメール・ルージュに捕らえられて処刑されたらしいが、詳しいことはわかっていない。処刑された場所を村人が覚えており、そこにお墓が建てられたと知り、行ってみることにしたのです。
シェムリアップの郊外、プラダック村にあります。
※バンテアイスレイ等見に行かれる方は、道中に寄ってと言えば行ける
(遺骨は1982年にご両親が現地で確認され、日本に帰っている)
しかしながら、2001年て、映画公開後なので、…観光地にしようとしたんじゃね…?という目論見は一旦置いておきましょうかね。
トゥクトゥクの運ちゃんは、このお墓のことは知らず、インターネットで調べてもらって辿り着く。
観光ルートから少し外れた所の細い道にありますよ。
トゥクトゥクでは入れない道を行かねばならず、歩き出そうとしたら地元の若いお兄ちゃんがバイクに乗ってやってきて、ちょっとここから分かりにくいから、ということでガイド兼往復2ドル送迎で乗せてもらった。
何処から現れたのだろう…?不思議だなァ…
すんごいガタガタ道を、そこそこのスピードでロードバイクかのように軽々と運転する兄ちゃん。終始コレヤバイ、今度こそヤバイ、と内心悶絶しながら進む。
H.I.Sて。なんじゃこれ。
バイクを降りて更に川を渡り…
おお…到着。
人の気配がないのでちょっと寂しい、でも自然豊かで鳥の声と虫の羽音が聞こえる、静かな場所にありました。
アンコールビールとお水が。
少し資料も。兄ちゃんは、一生懸命解説してくれる。
ご両親が、一ノ瀬氏を掘り起こして確認して、川で頭蓋骨を洗っている写真は本当に辛い。
まだ当時26歳。若い。
一部の若者には熱狂的な「一ノ瀬泰造ファン」がいるらしく、命を懸けて自分のやりたいことに挑戦し、散ったという彼の生き方に共感しているそうな。
情報が錯綜する中、フリーランスで戦場に行くということ、敵地・危険な場所に潜入するということはどういうことなのか。勢いと情熱だけで無茶をやってしまった部分もかなりあるだろうな…と思う。
今だとアレなのか…?自己責任と言われて炎上するのか…?
ちゃんと日本語で書いてある。「コォン・ドォンさん」というカンボジア人の方が作ったらしい。
きふ ……!!
ちょっとばかりですが入れてきました。
兄ちゃんは、もういいかねお姉さん、と割と早々に声をかけてきて、ササッと戻り始める。もう少しいてもいいじゃんかよぅ
ネットで行った人の記事を見かけた際に、子供達が「1ドルちょうだい」とめっちゃついてくると書いてあったのですが、今は誰もいなかった。
日本人よく来る?と聞いたけど、兄ちゃんは「多くはない」と言っていた。以前はトゥクトゥクの運転手に「TAIZO」と言えば、大体の人はこの場所を知っていたらしいけど、今はもうそんなにはいないんだろう。
滞在できたのは10分とか15分とかでしたが、行けてよかったです。
若干お金の匂いが気になったけどな…!
遺骨がないなら「お墓」じゃないのかもしれませんが、この場所で一ノ瀬氏が10年近くも眠っていたと思うと、ここにも一ノ瀬氏の心の一部があると思うのです。
<おまけ>
帰り道、兄ちゃんが木の実をくれたりと、割と仲良くしておりました。
これは「ロペ」。白い皮を剥くと中から実が出てくる。
コレ凄まじくまずかった…
「ポーイ」※全然ピントが合ってない
これは甘くて美味しい。コレ好きだと言ったらいくつかくれた。