大阪の阿倍野区平野。ここにある由緒正しき大きいお寺・全興寺に、小さな地獄堂がある。
子供向けとのことだが、中々にちょっとしたトラウマものであった。
しかも今風の、「QRコード」で入れる新感覚地獄!!・:*+.\(( °ω° ))/.:+
どうやら裏口?っぽい所から入ってしまった。
入り口からして完全にお寺側も地獄推し。
「ほとけのくに」「駄菓子屋さん博物館」は後から取ってつけたような感じ。
てか駄菓子屋さん博物館て。
向かって右側の看板に、「まず本堂の御本尊様に参拝いたしましょう」と書かれている。
地獄やほとけのくにに直行直帰の人が多いのでしょう。
お参り後、本堂から向かって右側にある、「地獄への通行手形売り場」へ。
売り場の大お姉さん「このチケットは永久に有効です。地獄まで持っていきや」
私「はい」
大お姉さん「ニヤニヤ」
100円で永久無料・入りたい放題!とってもお得!!!
地獄堂の入り口
ただの脅しに使うなってさ、お父さんお母さん。
この時、私以外に子供2人の4人家族が1組、お寺の敷地内にいた。
子供達は地獄堂に入ってみたいとおねだりしていたが、親かケチっているのか100円貰えないようでブーブー文句を言っているのが聞こえる。
私は大人だから100円持ってる。
大人になって良かった。
QRコードを入り口の機械にかざすと、
ガーっと音がして目の前に年季の入った渋くて怖い閻魔大王様が。
いやいやいやいやコレ普通にかなり怖い
鬼も怖いけど奪衣婆も怖すぎ。
東南アジアや外国にはない、日本独特の怖さがふんだんに。
ディテールも綺麗よ…日本の心も感じる…。゚(゚´ω`゚)゚。
鬼の足元には裸の男女が許しを乞うている
女は奪衣婆に服ひん剥かれたのか
何と存在の小さいことか
地獄鳥
罪人に火を拭きまくる
かっこいいのう
お堂の中は人2人くらいが入れる大きさで、ドラを叩くと鬼の横にある浄玻璃の鏡を模したモニターから映像と地獄の説明が流れる。
浄玻璃の鏡の声がデカくて怖い。
そこへ、さっき親に100円貰えなかったお兄ちゃん、妹の2人が、地獄堂が空いているのを目ざとく見つけ、「あいとるーー!」と私の後ろから入ってきた。
仕方ない、一緒に見せてあげようではないか。
絵が古くて怖すぎる
釜茹で、血の池など様々な刑場が紹介されてゆくのだが、針の山に串刺しにされる所では、「ズブシュッ」という効果音と「ギャアアアアアア」という悲鳴まで流れる。
さっきまで騒いでいた子供達が急に静かになり、ボーゼンとビデオを見つめているのが背後から伝わってくる。
その感じが面白くてどうしたら良いやら、笑いを堪えるのに必死だった。
そしてなんと、ビデオの最後は「賽の河原」であった。
子供啓発の地獄なのだな、とはわかるものの、
童謡が流れる中、すすり泣きながら石を積み、鬼に壊される子供達のシーンが強烈である。
ナレーション「二度と親に会うことはできません(キッパリ)。」
ビデオが終わると、妹はパーッと走って出ていったが、兄は私がいるからかすぐに逃げるのは躊躇われたらしく、
「でもコレ、本当にそうなるとは限らへんし」
と呟いて出ていった。笑った。
外に出た所にはなんとまた、
賽の河原体験コーナー
すごいお寺だな。この発想はなかったわ。
しかも結構難しいんだよねコレ。
体験コーナーも充実しており、仏様と写真が取れる、しかもセルフィー台付きというぼっちにも優しい仕様。
さあではおまけっぽくされている「ほとけのくに」も行ってみましょうか
びっくりしたのが、この手すり、最初竹かと思っていたら、四国八十八箇所の砂を詰めたものであった。
ほとけのくに は地下にあり、入っていくと沢山の仏像に迎えられる。
床はステンドグラスの曼陀羅。
ここで座禅を組んで瞑想するととてもいいらしい。
しかし蚊がすごい。
立ったまま目を試しに閉じてみるも、すぐ耳元で「ゥワン」と羽音が聞こえ、汗まみれで食われまくり、「もうイヤだ」とすぐ出た。
とんでもないところだったぜ。
敷地内には他にも色々見る所があり、池も綺麗でとても良かった。
大人も子供も楽しめる、基本はお賽銭と通行手形代だけで大変リーズナブル、お土産に「厄除け鬼まんじゅう」もあるよ!オススメ(=´∀`)
最後に死後自分がどこへ行くか、「極楽度・地獄度チェック」を貼っておきます。
命はひとつきり。人生はいちどきり。
よく考えて大切に生きていきましょう。
<アクセス>
全興寺サイト
https://www.senkouji.net
谷町線の平野駅から徒歩10分位。
周辺が本当に昭和の日本みたいなくすんだ色でとってもいい
<おまけ>
なぜか併設されている「ジオラマ展」。
関連性が全く感じられないが、それなりにやっぱり面白かった。
私の親の世代はこういう暮らしの中で育ったんだよねえ
当時は今に比べてきっと衛生的にもアレだし、プライベート空間とかもないだろうけど、思い出補正はあれど、「あの頃のよさ」があったのだろうね